中村元博士が、その86年の人生を学問一筋に打ち込み、東西の思想の蘊奥を極め尽くして、最後に到達されたもの、それは「慈しみのこころ」でした。
亡くなる数ヶ月前に認められた一文のなかで、博士は次のように語っています。
「私は長い間、東洋の思想・精神的伝統の探求をしてまいりました。それを貫く〈東洋のこころ〉というものがあるとすれば、それはいったい何か。その底に流れるものを求めての半生であったといっても、過言ではないように思います。
・・・その何かこそ〈温かなこころ〉ということではないかと思うのです。」(『温かなこころ 東洋の理想』)
笑いながら「私は字が下手だから」と、サインの求めに対してやさしくお断りになった博士が、是非とも、との所望に書かれたことばは、インドの文字で書かれた「慈しみのこころ」でした。博士は菩提寺である松江市の真光寺と東京の多摩墓地に眠っています。
博士は、墓地(東京都:多摩墓地)に「ブッダのことば」と題した石碑を立て、後世に残しました。このことばは、原始仏教聖典の一つである『スッタニパータ』(ブッダのことば)から博士が訳したもので、洛子夫人ご自身が清書され、それを墓碑に刻んだものです。
この「ブッタのことば」は博士が(財)東方研究会・東方学院に示された指針であると同時に21世紀の人類に示されたメッセージでもあります。
また墓碑には、ご自身でつけられた法名「自誓院向学創元居士」も刻まれています。