1912
11月28日 島根県松江市殿町に生まれる
1925
東京高等師範学校付属中学校入学
しかし腎臓の病気を患い一年間の休学、宗教・哲学関係の書物を耽読
1930
第一高等学校文科乙類入学
この時代の恩師との出会いは後の学問の支えとなり、友人との堅い絆は後の東方研究会・東方学院設立の礎となった
1933
インドや仏教の哲学思想に奥深さと温かさを感じ、東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科入学
1936
同大学大学院入学
インド哲学、特にヴェーダーンタ哲学を研究
1942
博士論文(『初期ヴェーダーンタ哲学史』)提出
1943
東京帝国大学助教授に就任、5月 文学博士
1951
『東洋人の思惟方法』が評価され、米国スタンフォード大学より客員教授として招聘、以後外国から受けた招聘は50回を超える
1954
東京大学教授に就任
1957
日本学士院賞恩賜賞受賞(『初期ヴェーダーンタ哲学史』)
1960
『東洋人の思惟方法』がユネスコ国内委員会により英訳
1964
文学部長に就任、いずれの学科も利用可能な「文化交流研究施設」の設立に尽力、第一類で初めて「比較思想」の講義を行なう
1966
近代インドの思想家にしてインド第二代大統領ラーダークリシュナンより「知識の博士(VidyAvAcaspati)」の学位
1967
オーストリア学士院遠隔地会員
『仏教語大辞典』の原稿紛失、一ヶ月後再執筆開始
1970
財団法人東方研究会創立、理事長就任
学生時代の貧しい生活の経験から、無職の若手研究者の研究継続のための道を開く
1973
東京大学定年退官、同大学名誉教授
学園紛争の経験から東方学院設立、学院長就任、デリー大学名誉文学博士、ベトナム・バンハン大学名誉文学博士
1974
比較思想学会初代会長就任、紫綬褒章受章
1975
『仏教語大辞典』刊行 (毎日出版文化賞、仏教伝道文化賞受賞)
1977
文化勲章受章
1978
イギリス王立アジア協会名誉会員、ネパール国王より勲章
1982
ドイツ学士院客員会員、スリランカ・ケラニア大学より名誉学位、中国・西北大学より名誉教授の称号
1983
比較思想学会名誉会長就任
1984
勲一等瑞宝章受賞、日本学士院会員就任
1989
松江市名誉市民
1994
第24代史跡足利学校庠主就任
1999
NHK放送文化賞受賞
『中村元選集』[決定版] 全40巻刊行完了
1999年10月10日
逝去、享年86歳