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バニヤンの樹のごとく
中村元―まるでインドの地に深く根を下ろす世界一の巨木、バニヤン樹のように、学殖と智慧と慈悲に満ちた巨大な偉人。
バニヤンの樹は、幹から横に枝がのび、その枝から馬の尻尾を思わせる気根が出て、空中にたれ下がる。気根はだんだんと生長して地面に達し、さらに地中にのびて木の根となる。はじめは細かった気根の部分は、やがて堅く太くなり、立派な幹へと姿を変える。りっぱに変身した幹からは、ふたたび新たな枝がのびはじめ、そこから気根がたれ下がり、別の新しい幹となる。
こうしてたった一本の幹から何百本もの幹ができ、ついに壮大な林を創りあげる。そして、容赦なく照りつける太陽の暑さを逃れてくる人々を、分け隔てなく優しく迎え入れ、木陰の涼しさをそっと与えてくれる。そんな強く優しいバニヤンの樹。
インドという地に生まれ、この大地に深く根を下ろした仏教の「中観哲学」の研究にはじまった中村元博士の仕事は、インド哲学、仏教学、そして比較思想、はては世界思想構築という、誰しもなし遂げえなかったいくつもの大きな幹を形成し、それぞれの幹は多くの枝を伸ばして、新たな研究を生み、また研究者を生み育て、やがて東洋思想の研究を推進する大いなる森、東方研究会が育まれました。
そのもとには、疲れ乾いた心に涼を求める人々がしぜんと集い、深く広い研究に裏打ちされた「慈しみのこころ」に癒される場が生まれ、いかなる隔てもなく共に学べる寺子屋、東方学院が誕生しました。
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略歴
1912
11月28日 島根県松江市殿町に生まれる
1925
東京高等師範学校付属中学校入学
しかし腎臓の病気を患い一年間の休学、宗教・哲学関係の書物を耽読
1930
第一高等学校文科乙類入学
この時代の恩師との出会いは後の学問の支えとなり、友人との堅い絆は後の東方研究会・東方学院設立の礎となった
1933
インドや仏教の哲学思想に奥深さと温かさを感じ、東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科入学
1936
同大学大学院入学
インド哲学、特にヴェーダーンタ哲学を研究
1942
博士論文(『初期ヴェーダーンタ哲学史』)提出
1943
東京帝国大学助教授に就任、5月 文学博士
1951
『東洋人の思惟方法』が評価され、米国スタンフォード大学より客員教授として招聘、以後外国から受けた招聘は50回を超える
1954
東京大学教授に就任
1957
日本学士院賞恩賜賞受賞(『初期ヴェーダーンタ哲学史』)
1960
『東洋人の思惟方法』がユネスコ国内委員会により英訳
1964
文学部長に就任、いずれの学科も利用可能な「文化交流研究施設」の設立に尽力、第一類で初めて「比較思想」の講義を行なう
1966
近代インドの思想家にしてインド第二代大統領ラーダークリシュナンより「知識の博士(VidyAvAcaspati)」の学位
1967
オーストリア学士院遠隔地会員
『仏教語大辞典』の原稿紛失、一ヶ月後再執筆開始
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略歴
1970
財団法人東方研究会創立、理事長就任
学生時代の貧しい生活の経験から、無職の若手研究者の研究継続のための道を開く
1973
東京大学定年退官、同大学名誉教授
学園紛争の経験から東方学院設立、学院長就任、デリー大学名誉文学博士、ベトナム・バンハン大学名誉文学博士
1974
比較思想学会初代会長就任、紫綬褒章受章
1975
『仏教語大辞典』刊行 (毎日出版文化賞、仏教伝道文化賞受賞)
1977
文化勲章受章
1978
イギリス王立アジア協会名誉会員、ネパール国王より勲章
1982
ドイツ学士院客員会員、スリランカ・ケラニア大学より名誉学位、中国・西北大学より名誉教授の称号
1983
比較思想学会名誉会長就任
1984
勲一等瑞宝章受賞、日本学士院会員就任
1989
松江市名誉市民
1994
第24代史跡足利学校庠主就任
1999
NHK放送文化賞受賞
『中村元選集』[決定版] 全40巻刊行完了
1999年10月10日
逝去、享年86歳
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業績
中村元博士の業績は、追悼号である『東方』第15号掲載の著作目録の目次をみただけでも分かるとおり、余りにも膨大で、ここに一つ一つ取り上げることなど到底不可能です。
今その本質的な部分だけを紹介しますと、およそ次のように言えるでしょう。
まず博士は、非凡な語学力と綿密にして厳格な文献学的手法を駆使し、膨大な資料を収集し、その的確な整理と分析を基礎に、インドの文化を、歴史的・思想的に解明しました。その際、単に思想そのものを解明するだけでなく、インドの歴史を明らかにすることによって、インドの思想文献をインド人の生活や社会的現実と連関させてとらえ、その上でインド思想の意義を理解しようと心がけ、インド思想研究を深化させ、また大きく進展させました。
博士は哲学者でありながらも、歴史学者ならばそれだけで一生の仕事となるような業績『インド史』2巻がある所以です。
仏教研究の分野においては、従来は宗派の教義研究が主であった仏教研究に対し、初期仏教聖典にもとづき、「ゴータマ・ブッダが何を教えたか」を究明したことがまず挙げられます。恣意的な研究を避け、言語学的、文献学的、考古学的根拠によって客観的に考察し、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの姿を浮かび上がらせました。
また博士は、仏典の言葉を、現代の日本人に共通な言葉で理解することを可能にしました。すなわち、難解な仏典を、平易でしかも精確な邦訳で、多くの一般読者のみならず専門家に対しても、提供したのです。
それは、原典からのわかりやすい翻訳による仏典の提供や、さらに「火星語」ともいわれる理解しがたい仏教語を、平易な日本語で解説した不朽の辞典『広説佛教語大辞典』全4巻の刊行といった形で具現化されています。これは、従来の仏教辞典の概念を変え、仏教研究史上一時期を画したと言えましょう。
博士のこのような努力は、仏教やインドの哲学的思想を専門分野以外の研究者にも開放することになり、諸学におけるこの分野の研究をして高からしめました。
博士はまた、日本における比較思想研究の分野を開拓しました。
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業績
インド学・仏教学という特殊な文化圏に関わる研究を踏まえ、解明がきわめて困難な「東洋人の思惟方法」を、独特な方法論をもって東洋の主な国々についてえぐりだす、この方面の最初の優れた研究をはじめ、博士は、インドの思想を、他の文化圏との比較においてとらえなおす比較思想研究への道に先鞭をつけました。インドから始まった研究は、東洋に広がり、やがて「世界の諸文化圏における諸文化的伝統において平行的な発展段階を通じて見られる共通の問題」を纏め上げるに至り、人類に普遍的な思想の解明にまで及ぶことになりました。
西洋思想史における、アリストテレスの偉大な仕事を讃える仕方からすれば、いわゆる「哲学」に属する、以上の思想研究の分野の他に、中村博士は、アリストテレスと同様、「論理」や「倫理」の分野における偉大な仕事があります。これを最後に紹介しておきましょう。
博士は、元来普遍的であるべき論理学体系が文化圏により異なっていることを指摘し、東西の論理的思考の構造を究明し、人類共通の思考の枠組みである判断と推理を検証し、否応なくグローバル化する世界に必須な普遍的論理の構築を目指しました。『思想』に長らく連載された原稿をもとに単行化された『論理の構造』はその代表的な成果です。
また「論理とそれを成り立たせている倫理の解明」の必要性を考えていた博士は、『論理の構造』2巻の執筆と平行して、さらに倫理へとその研究を掘り下げ、「構造倫理講座」を連載し続けました。博士の遺志は、それを受け継ぐ東方研究会によって編集され、博士の七回忌に『構造倫理講座』3巻として出版されました。
通常、学問研究は、その対象が、空間的ひろがりと時間的ひろがりにおいて、非常に限定されているものです。
ところが、博士は、その視野を、インドから東洋諸国のみならずユーラシア大陸全体に、また時代的にも古代から現代にまで広げ、比較思想の手法を駆使して、まれに見る世界思想史の構築に成功したのです。
※中村元博士の業績の詳細をまとめた、「決定版・業績一覧」(仮題)を生誕100年を迎える2012年を刊行予定です。ご期待ください。
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中村元博士著作論文目録
中村博士の著作は、約1500本(機関誌『東方』第15号・中村元博士追悼号の目録にて1497本、1999年)にのぼり、
その詳細を掲げることは不可能です。
ここでは目録の目次を掲げることで、その膨大多岐にわたる内容のご紹介とさせていただきます。
題目や発表年などの詳細は、『東方』第15号をご覧ください。
『東方』頒布につきましては、在庫のあるものに限り講読会員にお頒けしております。
詳しくは、定期刊行物のご案内をご覧ください。また、非会員で閲覧希望の方は事務局までお問い合わせ下さい。
※各項目()内の数字は、その項目の論文・著作数
【邦文による著作】(1186本)
A 新しい思想体系への試み─文明論(115)
B インド思想史
a 全般(29)
b インド思想における特殊問題(23)
c サンスクリット(5)
C インド哲学諸学派
a ヴェーダ、ウパニシャッド、叙事詩(19)
b 初期ヴェーダーンタ哲学史(20)
c シャンカラおよび不二一元論派(27)
d 言語哲学(12)
e マドヴァとヴァッラバ(2)
f 唯物論(1)
g インド論理学、ヴァイシェーシカ(20)
h サーンキヤ(1)
i ヨーガ(10)
j ジャイナ教(9)
k ヒンドゥー教(21)
D 現代インド思想・南アジア思想(59)
E インド古代史と社会
a 古代史(45)
b 社会思想(12)
F 仏教
a 仏教一般(106)
b 仏教の現代的意義(28)
c 原始仏教(142)
d 伝統的保守仏教(21)
e 大乗仏教(58)
G チベット・ネパール(8)
H 東アジア─シナおよび朝鮮(19)
I 日本思想・日本仏教(80)
J 比較哲学(45)
K 世界思想史への試み(84)
L 文化の交流─東と西(51)
M 学問論・学界報告(67)
N 提論
a 国家と宗教(17)
b 新しい研究と教育(28)
c 国字による表現の問題(2)
【外国語による著作】(311本)
A アジアの言語によるもの(27)
B 欧文によるもの
a, Indian Philosophy(51)
b, Sanskrit(1)
c, History of India(1)
d, Jain Studies(9)
e, Buddhism(106)
f, Tibetan Studies(3)
g, Chinese Ways of Thinking(2)
h, Japanese Thought(32)
i, Comparative Philosophy(16)
j, Comparative History of Ideas(24)
k, Interchange of Culture(15)
l, Contemporary Eastern Thought(6)
m, Reports on Indian Studies in Japan(6)
n, Prefaces and Recommendations(8)
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中村元ブックガイド
膨大な中村元博士の著作から、現在入手しやすいものを中心に、研究員が著作の内容をご紹介しました。『中村元 仏教の教え 人生の知恵』(KAWADE道の手帖、河出書房新社、2005年出版)に掲載されたブックガイドを転載したものです。
『中村元 仏教の教え 人生の知恵』、河出書房新社、2005年
中村元博士とその業績について、その全貌を知るための最初の入門書である。各分野の専門家によって、インド哲学・仏教学・日本仏教などにおける中村元博士の業績が紹介されている。また日野原重明氏、梅原猛氏、鶴見和子氏、池田晶子氏、立松和平氏ら各界の知識人が、中村博士から直接、間接に受けた学恩とそれぞれの思いを書いており、博士の思想的大きさが実感できる。
博士の短い一般向けの講演や文章が、以下のコレクションとして掲載されており、博士の学問への志と情熱をまず知るのに、もっともふさわしいものと言えよう。(西村玲)
〈中村元コレクション〉
- アメリカ精神と仏教思想
- 靖国問題と宗教
- 西洋思想史における仏教
- 平成九年度 釈奠足利学校庠主講話
※日本最古の学校である足利学校(栃木県足利市)は、1990年に復興し、1994年から博士が学校長である庠主(しょうしゅ)になった。これは、足利学校で毎年行われている孔子をまつるお祭りである釈奠(せきてん)で、博士の講話(1997年)である。
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『中村元の世界』 青土社、1985年
中村元博士には、『中村元選集』全40巻があり、博士の業績を知るにはこれを読破しなければならない。しかし、広範な中村学をこれから学ぼうというものには、入門書が必要である。この意味で、本書は必須のガイドブックと言えよう。中村元博士が70歳を超された時に出版されたもので、博士の研究を、比較思想、インド哲学、原始仏教、大乗仏教、日本思想の分野から紹介し、さらに、海外での活動について紹介されたものである。
それぞれを峰島旭雄、前田專學、阿部慈園、川崎信定、末木文美士、原実といった、博士と縁の深い先生方が執筆されており、巻末には、77頁にも及ぶ著作論文目録が付いている。
まさに、中村元先生の研究の概略を知るには、本書はなくてはならないものである。(奈良修一)
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『構造倫理講座』全3巻 春秋社 2005年
人はいかに生きるべきか。その答えを、仏教を中心に広く東洋の智慧に求めた、倫理研究の集大成である。倫理に関する研究は、中村元博士のさまざまな著作に含まれているが、それらをまとまった形で知るためには絶好の書といえよう。博士は、晩年に、倫理について何かまとまったものをという希望を持っておられた。生存中にその願いは実現しなかったが、7回忌を記念して「構造倫理講座」として全3巻にまとめられた。第1巻は「東洋の倫理」と題して、親子、男女、経済生活、家族、師弟、友人・共同生活などにおける倫理の問題を、興味深く解説する。第2巻は「生きる道の倫理」と題され、煩悩や智慧、自己の問題などを中心に、第3巻は「生命の倫理」と題して、生命と息、生命の愛惜、また「なぜ肉食してはいけないか」といった問題など、生命に関わる諸問題を中心に考察している。(服部育郎)
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『現代語訳大乗仏教』全7巻 東京書籍、2004~2005年
平成11年10月10日にご自宅で安らかな最期をむかえるまでの間に、博士は、およそ1500に達する膨大な著作論文を残された。しかし、『初期ヴェーダンタ哲学史』に代表されるインド哲学やパーリ語原典からの翻訳を初め、多くのまとまった著作が公にされている原始仏教に関する研究に比して、大乗仏教については、意外に体系的なまとまりのある出版はあまりなされていない。この点で、『般若経典』『法華経』『維摩経・勝鬘経』『浄土経典』『華厳経・楞伽経』『密教経典・他』『論書・他』の全7巻より成る本シリーズは、主要大乗仏教聖典のサンスクリット原典ないし漢訳からの翻訳に加え、学術的にも価値の高い語義説明を付し、さらに解説を施すという、博士の著作の中でも希有な存在である。
和顔愛語をもって、慈悲のこころを全身に体現しながら、常にわかりやすい講義・執筆活動を心がけていた博士が、「仏教の経典をすべてにわたり片端から通読することは容易ではないから、重要な教えだけでも知りたい」という希望に応えるために著されたこのシリーズは、必ずや、良き大乗仏典の入門書となるに違いない。
巻末に付された、本編所収の経論の全訳や、博士が早くから構想していた「世界思想史」の視点からの論考も有意義なものである。(堀内伸二)
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『古代インド』講談社学術文庫、2004年
古代インドがどのようなものであったか、それを多角的に述べることが本書の意図である。「古代」という言葉は、「中世」や「近代」などと並べて時代区分に用いられるが、便宜的な用法が一般的である。本書では具体的には、インダス文明から6世紀に衰退するグプタ王朝までを中核として、仏教やヒンドゥー教との関連からみたセイロンやネパールの歴史についても詳述されている。
底本は「世界の歴史」シリーズ第5巻『ガンジスの文明』(1977)で、2004年に、このタイトルで文庫化され入手しやすくなった。インダス文明以後、ガンジス川流域を中心とする文明・王朝の栄枯盛衰を経て、絢爛たる文化を花開かせた集権的国家グプタ王朝までの、政治や経済、宗教や文化、そしてそれらのギリシャなどとの交流の様子を詳しく描き出すとともに、インドの古代が、後代ないし現代、あるいは周辺諸民族に及ぼした影響について配慮し、古代インドの全貌を明らかにしている。(有賀弘紀)
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『仏典のことば』岩波現代文庫、2004年
本書は、大正元年(1912年)生まれの中村博士が、国際文化教育交流財団の依頼を受け、1987年に経団連会館で行った3回にわたる連続講演を基に、1989年に、サイマル出版会より「石坂講演シリーズ」の1冊として刊行されたものである。同シリーズは、国際文化教育交流財団が、「国際社会の諸問題、今日の人間社会に共通の問題㈼文明に関わる問題などを幅広く取りあげ、著名人にグローバルな視野からの卓見を開示して」もらい、「その講演録を刊行することにより、国際的相互理解の増進に寄与することをめざした」ものである。その趣旨に添う形でなされた本書の内容は、博士自ら「わたくしは仏教について啓蒙的な書もいろいろ著したが、現在の緊急な問題に正面から取り組んだのは、初めてである」と述べているとおり、「仏教の社会思想」を論じた希有なる書であり、74歳に達せられた博士が、永い年月にわたって打ち込んできた仏教の研究成果を「後世に言い残す」ために書かれた貴重なものである。なお、講演者には、ハリソン・ブラウン(第1回)、エドワード・ヒース(第3回)、クラーク・カー(第5回)など海外の著名人が名を連ねているが、日本人としては、第4回講演者としてイスラーム学の権威、井筒俊彦が抜擢されたのに次ぐものである。(堀内伸二)
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『龍樹』 講談社学術文庫、2002年
ナーガールジュナ(龍樹、西暦150〜250年)は、日本仏教の伝統において「八宗の祖」すなわち現在のほぼすべての仏教教団において祖師と仰がれている、インド大乗仏教思想史上の偉人であり、「空」の思想を代表する哲学者である。「まえがき」にも記されるように、中村博士は、自身の研究活動の端緒においてナーガールジュナの主著『中論』をとりあげてから、1980年に本書が刊行されるまで45年間にわたって彼の思想と取り組んでいた。したがって、博士の広範な業績の中にあって本書の占める意義は少なくない。本書の内容については、なによりも、中国とチベットとに現存する3種のナーガールジュナ伝の和訳を含んでいることが挙げられよう。それゆえに、ナーガールジュナに関心のある者にとって本書は必読の書となっている。もちろん、本書がナーガールジュナおよび彼の思想に対する最適の入門書であることは言うまでもない。(武田浩学)
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『論理の構造』青土社 2000年
中村元博士は論理学を「正しい思考の形式および法則を研究する学問」と定義する。そして、ギリシアに淵源する西洋の論理学および南アジアに発し東アジアに広まった東洋の論理学をそれぞれ歴史的・社会的制約を受けて成立しているととらえ、両者を比較し、「異質的なものの対立の基底にまで掘り込んで思惟方法における相違の起こる所以を解明し、構造的に理解する」ことによって、東西を超えた普遍的な論理学を構築することを目指す。そのために、西洋の伝統的論理学を構成する概念論・判断論・推理論という枠組みのもと、西はプラトン、アリストテレスからラッセル、ヴィトゲンシュタイン、クワインにいたる、東は仏教論理学を中心にインド・チベット・中国・日本における、さまざまな論理思想をとりあげ、比較し、問題を提起する。それは形式論理学、認識論、形而上学、言語哲学などを縦横無尽に駆け巡る。『東洋人の思惟方法』を源とし、普遍的論理学構築への第一歩となる著作である。(細野邦子)
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『仏教のことば生きる智慧』 主婦の友社、1996年
博士は、日本人でも仏典に親しめるようにと数多くの重要な仏典をサンスクリット語、パーリ語の原典から邦訳している。それらの中のごく一部として、『ブッダのことば』『真理のことば・感興のことば』『ブッダ 最後の旅』『原始仏典』『大乗仏典』などがある。ところが、文章はやさしくなったとしても、これらの本を手にとって通読する時間をもつことは難しい。そこで、ごく簡潔なかたちで仏教の教えの大切な部分をまとめてほしいという読者の要望にこたえて、「東方学院」の講師・研究員に呼びかけて仏教の名言が102ほど選ばれ、解釈文が付された。どのページを開いても2、3分の時間があれば、人生の生き方を反省し、まとまった教えが得られる。仏教への格好の入門書でもある。(立花弥生)
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『人生を考える』青土社、1991年/増補版1994年
インタビューに答える形で、〈在る〉について・自己について・価値あるいは美について・生き甲斐について・こころと身体・性について・愛について・家族あるいは社会について・老いということ・死について・神あるいは信仰について・論理と真理、の12のテーマについて、古今東西の思想を縦横に駆使して、しかも平易に語っている。同じ出版社の『自己の探求』に続き、それまでのインド思想仏教思想の歴史的研究、比較思想研究の成果をふまえて、自己とは何か、いかに生きるかについて論じた、中村博士晩年の問題関心に基づく1冊。増補版では、こころのはたらき・自然について、の2篇が加えられている。(吉村 均)
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『合理主義-東と西のロジック』 青土社、1993年
西洋と東洋の思惟方法を比較し評価することを目指す博士が、工学院大学において「合理的思考(思惟)」にテーマをしぼり講演を行ったときの基礎原稿および講演記録。西洋および東洋におけるさまざまな科学、技術、哲学、宗教をとりあげ、西洋の思考は合理的であり東洋の思考は非合理的である、あるいは科学は合理的であり宗教は非合理的であるというイメージを次々に打ち砕いていく。さらに「合理性」を、理性(ratio)に従うことではなく、全人的な人間の生存に結びつく普遍的理法・普遍的規範(ダルマ)に合致することであると考える。そして、人間の視点に立つ論理学の構築が必要であること、宗教はドグマを立てずに普遍的理法を追求するかぎり合理性をその本質とするものであり、それは科学の合理性と矛盾しないこと、科学技術はこの普遍的理法を実現するために「宗教的な暖かい心情」を忘れてはならないことを主張する。(細野邦子)
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『比較思想論』岩波書店、1960年
比較思想は今では市民権を得た学問領域となっている。しかし、中村元博士が提唱した当時、必ずしも研究者たちから好意的に迎えられたわけではなかった。博士は『比較思想の先駆者たち』(広池学園出版部、1982)で日本における比較思想の先人たちを紹介しているが、日本に本格的に比較思想を定着させたのは中村元博士の功績であり、「岩波全書」の1冊として刊行された『比較思想論』は日本における比較思想の出発点として記念すべき意欲作である。
本書では、比較思想を日本に定着させるため戦略的に海外における比較思想の事例が多く語られている。むろん紹介に終始するわけではなく、比較思想「論」である以上、随所に博士による比較思想の理論とその成果が織り込まれ、注意深く構成された比較思想の独立宣言となっている。
博士は、比較思想の進むべき道として、民族や文化圏といった空間的・風土的、あるいは東西に共通する同時代的な思想の特徴を研究する特殊化の方向と、時代的・風土的な制約を超えて同種類の思想をひとまとめにして、異質的なものと対決させる批判的思想形態論的な普遍化の方向の2つを提示している。本書には、その前者の成果として『東洋人の思惟方法』の内容が要約され、また後者の試みとして後に『世界思想史』へと発展する世界思想史が論じられている。
『比較思想の軌跡』は、比較思想の発展に尽くし、最初期からの比較思想の歴史を知る中村元博士が、『比較思想論』の発表から30余年が経過し、比較思想に関するさまざまな事柄が湮滅してしまうのを恐れ、各所に発表していた文章を集め、比較思想の資料集として編集したものである。論文集ではあるが、比較思想の論理や成果、比較思想に関する国際学会、西洋と東洋の思想交流などテーマごとに整理されていて、比較思想の歴史を知るうえで価値ある1冊となっている。(森 和也)
※「閉じる」をクリックすると詳細を閉じます。
『比較思想の軌跡』東京書籍、1993年
比較思想は今では市民権を得た学問領域となっている。しかし、中村元博士が提唱した当時、必ずしも研究者たちから好意的に迎えられたわけではなかった。博士は『比較思想の先駆者たち』(広池学園出版部、1982)で日本における比較思想の先人たちを紹介しているが、日本に本格的に比較思想を定着させたのは中村元博士の功績であり、「岩波全書」の1冊として刊行された『比較思想論』は日本における比較思想の出発点として記念すべき意欲作である。
本書では、比較思想を日本に定着させるため戦略的に海外における比較思想の事例が多く語られている。むろん紹介に終始するわけではなく、比較思想「論」である以上、随所に博士による比較思想の理論とその成果が織り込まれ、注意深く構成された比較思想の独立宣言となっている。
博士は、比較思想の進むべき道として、民族や文化圏といった空間的・風土的、あるいは東西に共通する同時代的な思想の特徴を研究する特殊化の方向と、時代的・風土的な制約を超えて同種類の思想をひとまとめにして、異質的なものと対決させる批判的思想形態論的な普遍化の方向の2つを提示している。本書には、その前者の成果として『東洋人の思惟方法』の内容が要約され、また後者の試みとして後に『世界思想史』へと発展する世界思想史が論じられている。
『比較思想の軌跡』は、比較思想の発展に尽くし、最初期からの比較思想の歴史を知る中村元博士が、『比較思想論』の発表から30余年が経過し、比較思想に関するさまざまな事柄が湮滅してしまうのを恐れ、各所に発表していた文章を集め、比較思想の資料集として編集したものである。論文集ではあるが、比較思想の論理や成果、比較思想に関する国際学会、西洋と東洋の思想交流などテーマごとに整理されていて、比較思想の歴史を知るうえで価値ある1冊となっている。(森 和也)
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『ブッダ入門』 春秋社、1991年
釈尊(ゴータマ・ブッダ)の生涯とその思想の道のりを、広範な学問的知識のみならず、著者自身のインド体験や現地の風土的な背景にもとづいて解説した、他に例をみない仏教入門書である。本書は、第1章 誕生(家系と風土、釈迦の誕生)、第2章 若き日(幼き日々から出家まで)、第3章 求道とさとり(ビンビサーラ王との出会いからブッダガヤーでの悟りまで)、第4章 真理を説く(説法の決意から伝道まで)、第5章 最後の旅(釈迦とヴァッジ族の7つの法から最後の説法まで)によって構成されている。
仏教用語も平易に説明されている。例えば、「因縁の教え」について、著者は「ありとあらゆるものは因縁によって成立している。私なら私という一人の人間がここにいる。そこには無数の条件があった。さらに、それらの背後にはまた無数の条件がある。この世の出来事のひとつひとつが、無数の条件によって成り立っている。これが因縁の教えです」と解説している。(佐久間 留理子)
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『インドこころの旅』 日本放送出版協会、1987年
「インドこころの旅」は、1986年3月にNHK特別番組として3回シリーズで放送された。本書には、博士が本番組の放送のために教導した、インドにおける取材旅行の様子が、豊富な写真とともにおさめられている。本書でとり上げられたカルカッタのラーマクリシュナ・ミッションは、世界の宗教調和と平和をめざし「愛」をテーマに活動している教団である。
また、ジャイナ教について述べられているが、ジャイナ教とは、仏教と同時期に興隆し、今も厳しい戒律をたもつ宗教である。そのアヒンサー(不殺生)の教えは、マハトマ・ガンディーをとおしてインド独立のたたかいに大きな影響を与えた。「4章 釈尊の旅をたずねて」では、『大パリニッバーナ経』にみる最後の旅を追いながら、人間釈尊の教えを探る試みをしている。(立花弥生)
※「閉じる」をクリックすると詳細を閉じます。
『学問の開拓』 佼成出版社、1986年
本書は、80年代中葉ごろまで、中村元博士の学者人生を記した自伝であるが、佼成出版社が博士に対するインタビューを整理して執筆・編集したものである。
本書は2部に分れており、第1部「独創への道」は、博士が生まれ育った風土や家、読書に明け暮れつつ哲学や宗教に魅かれていった少年時代、インド哲学の研究に進み始めた大学時代、ヴェーダーンタ哲学史をまとめあげた大学院時代を語りつつ、それらと博士の学問との関りを分析している。
第2部「学問の使命」は、東大助教授就任以後になされた博士の幅広い研究・教育活動、すなわちインド古代史や原始仏教の研究、『佛教語大辞典』の編纂、比較思想の研究、財団法人東方研究会及び東方学院の設立などの経緯や意義について述べる。
自身を突き放し、外側から客観的に博士自身の学者としての歩みをとらえた、言わば博士の自分史であるが、人生の先輩として若者たちに送った温かなメッセージともいえる書である。なお末尾は博士の著作論文目録となっている。(石川 巌)
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『東洋のこころ』 東京書籍、1985年
明治時代の「脱亜入欧」政策がよほど浸透したのか、日本人は未だに欧米偏重の意識から抜け出せずにいる。しかし、「欧米列強に追い付け、追い越せ」と、欧米を模倣する時代はとっくに終わった。今まで絶対のように思われてきた、西洋の価値観が昨今の戦争を見るまでもなく音を立てて崩れ去ってしまったからである。ここで、私共は今一度、長年日本人の精神生活の背景であり、基盤でもあった「東洋のこころ」を再認識してみる必要があるのではなかろうか。
本書は、そのような日本人が忘れつつある「東洋のこころ」をグローバルに解り易く解き明かしている。近年、博士の「仏教を初めとする、東洋思想こそが混迷と対立を深める現代世界に即応できる究極の思想である」との持論がより説得力を増して来たように感じるのは私だけではあるまい。(常磐井 慈裕)
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『往生要集』〈古典を読む-5〉 岩波書店、1983年
日本中世の天台宗学僧であった源信が、浄土教について著した『往生要集』の解説書である。
サンスクリット語・パーリ語等の原典と、源信が引用した漢訳文献を比較するという独自の方法によって、源信の思想を考察している。原典との比較によって、インド・中国・日本に渉る浄土教の大きな流れの中に、源信のそれが位置づけられ、さらには日本浄土教と日本人的思惟の特性が浮き彫りにされた。
たとえば、極楽往生した後に仏となってこの世に戻り、衆生を救うという「極楽往生の利他主義的性格」は、源信によって初めて明言されたことである。また、諸仏から阿弥陀一仏へと崇敬の対象が選択されていき、浄土教が顕著に日本的になっていく過程が跡づけられている。
学問的・論理的な源信の思想を、本書は明確にわかりやすく示している。(西村 玲)
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『自己の探求』 青土社、1980年
「自分自身はどのように生きたら良いであろうか」という切実した問題を真正面から取り組んだ好著である。最初に問題設定があり、そして答がある。その問題設定そのもの「1.自己」「2.生命」「3.運命」が、著者の人生に対する問題意識である。とかく敬遠したくなる内容も、そして各所に難しい部分はあるけれども、自分の身に引き寄せた問題として姿を変え出現する。引用文献は、洋の東西、古今を問わない。
文章の運びも小気味よく脳にやさしく、運動のできない人が、熟練者と一緒にしているうちに自然とその道に熟達し、楽しみを感じ、喜びをまわりの人に伝えたくなる、そんな気分にさせてくれる。
しかし衝撃は最後にやってきた。この誠実な思索を追体験できる書の、そのあとがきの「はたして予想したとおり、この書は哲学界、思想界からは完全に無視された。」という事実は、哲学界・思想界の暗い現況を示してはいないか。(林 慶仁)
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『思想をどうとらえるか-比較思想の道標』 東京書籍、1980年
中村元博士の比較思想の研究の成果は、『東洋人の思惟方法』(初版1948。『中村元選集[決定版]』第1巻〜第4巻(春秋社)に収録)、『世界思想史』(初版1974—77。『中村元選集[決定版]』別巻1〜別巻4に収録)によって知ることができるが、これらは大部の書であり通読するのは容易ではない。しかし幸いなことに、中村元博士自身の手による入門書として、放送大学での講義をもとに「東書選書」の1冊として著された『思想をどうとらえるか』によって、中村元博士の比較思想の概要を知ることができる。
本書では、世界の諸文化圏における思想の平行的な発展段階を古代思想、普遍思想、中世思想、近代思想という区分に沿って論究する『世界思想史』の構成に拠りながらも、「都市と自由思想家」、「自我の自覚」など大きなテーマを挙げてより分かり易く議論されている。(森 和也)
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『聖徳太子-地球志向的視点から』 東京書籍、1980年
聖徳太子に関する著作は数え切れないほどあるが、これは比較思想の視点から書かれた聖徳太子論である。本書は「日本の名著」第2巻『聖徳太子』(中央公論社、1970)の解説など聖徳太子に関する諸論考に加筆修正した本文5章と「十七条憲法」の口語訳・英訳とからなる。また、『中村元選集[決定版]』にも別巻6「聖徳太子 日本の思想」(春秋社、1998)として収められている。
普遍的帝王とは普遍的宗教(聖徳太子の場合は仏教)に基づく指導理念によって普遍的国家を建設した指導者のことであるが、中村元博士は、インドのアショーカ王などと並ぶ普遍的帝王の一人として聖徳太子を捉えている。この世界思想史という大きな流れの中に聖徳太子の存在意義を探るとともに、現代社会において聖徳太子の「和」の思想がなお有効であることを説く、生きた思想としての聖徳太子研究である。(森 和也)
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『ヒンドゥー教史』〈世界宗教史叢書6〉山川出版社、1979年
一般に宗教に関する書物の大半は、その教理、思想に焦点をあてており、歴史について書かれることが少ない。この点から見て、山川出版社の「世界宗教史叢書」は、各宗教の歴史に焦点をあてた希有のものといって良い。さらに、ヒンドゥー教について書かれた書物は、他の宗教に関するものに比べれば少ないだけに、本書はヒンドゥー教の通史を記した唯一のものと言っても過言ではなかろう。
序論で、ヒンドゥー教の形成に焦点を当て、本論でマウリア王朝以降、現代に至るまでのヒンドゥー教の歴史を記している。それだけに、ヒンドゥー教のみならずインドに関心のある人には必須の本と言って良い。ただ、あえて望蜀の言を述べれば、紀元後5世紀までのグプタ朝までは詳しいが、イスラーム侵入以降、特にムガール期の歴史がやや少ない点が惜しまれる。(奈良修一)
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『今なぜ東洋か』 TBSブリタニカ、1979年
19世紀以降、近代文明が地球上を支配するようになり、文明といえば、欧米の西洋文明しか考えられない時代が到来した。この状態は今も続いているとも言えよう。しかし、理知、分析的なこの文明の限界が、20世紀後半から次第に、明らかになると、非西洋文明にも多くの関心が持たれるようになってきた。このような時代に、中村博士は、西洋文明に劣らない、否、勝るかもしれない東洋文明をアメリカなどに紹介されてきている。本書は、このような文明論をまとめたものである。
西洋文明への懐疑、欧米における東洋文化志向、アジアの位置づけと日本の進路、東洋学の先駆者たち、人類性をめざして、という章立てにより、東西両文明を超えた汎人類的思想の方向性を示している。9・11事件以降、文明の対立が語られる今、本書の持つ意味は大変大きいものと言えよう。(奈良修一)
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『世界に呼びかける東洋』 講談社現代新書、1965年
かつて、東西が冷戦状態にあった頃、その冷戦が終結すればいずれ世界国家が建設されると考えられていた。その世界国家の建設のためには諸文明・文化の相互理解が不可欠であり、人類はその理解への過程をどのように踏むべきか、本書はそのことを遥かな視点にとりながら著わされた。
博士は西洋文明を代表する国家としてアメリカを挙げ、そこでの自身の実体験や見聞によって、近代合理性の徹底した論理性と矛盾してしまう人間の精神活動との整合性を求める糸口として東洋の精神文化が注目されたことや、東洋系住民が居住することによりそのコミュニティを維持する東洋の精神文化が西洋系住民にも浸透しつつあることなどの実例を挙げ、東洋という価値が世界にとっていかなるものかを説き明かしている。
冷戦崩壊後、西洋の論理への反発としてむしろ頻発しつつある文明・文化の衝突をいかに克服すべきか、本書の提言はいまだにその価値を失っていない。(鈴木一馨)
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『宗教と社会倫理-古代宗教の社会理想-』 岩波書店、1959年
インドにおいて、バラモン教のカースト制度は資本主義の成立を妨げたが、不殺生に厳しいジャイナ教においては、虫を殺す農業などに従事することはできないため、信者は小売商や金融業に従事した。平等を説く仏教では、出家者は生産に従事しないが、在家に対しては勤勉を説き、それにより正当な報酬を得ることを肯定した。仏教を信奉するアショーカ王は「法」(ダルマ)による国家統治をおこなったが、そこでは正しい利益安楽の追求が奨励されている。
本書はヴェーバー『ヒンドゥー教と仏教』への専門家からの応答として書かれた。日本では仏教というと、厭世的、現世否定的という印象があるが、原始仏教の合理性、社会性の指摘は、直接インドの原典に拠った中村博士の仏教研究の大きな成果のひとつといえるだろう。(吉村 均)
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『慈悲』 平楽寺書店、1956年
「慈悲」とは、仏教思想の最も重要な観念のひとつである。本書は、「慈悲」の語義から「慈悲」の歴史的な展開、「慈悲」の性格などについて、インド、中国、日本の文献を挙げながら実証的に解説している。
「慈悲」とは、元々仏様が一切衆生を思う気持ちのことであるが、私共はそれをいかに理解し、いかに自分のものとして活用してゆくべきであろうか。その指針となるのが本書である。他人に対する暖かさや思いやりなどが忘れ去られて久しいこの頃であるが、今こそ私共は自分自身の課題として「慈悲」を取り戻さねばならない。博士が、「未来の人類の生活のために指標としての意味をもつ」と述べるのは、決して誇張ではない。
思うに、中村元博士は、正に「慈悲」の人であった。著者の誠実かつ真摯な生き方をも本書から学び取ることができるのではなかろうか。(常磐井 慈裕)
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『インド思想史』 岩波書店、1956年
インド哲学を専攻とされた博士の、最も得意とされる分野の著述であり、インド哲学の研究を目指す初学者にとって、必読の書である。
内容を概観するというのは難しいが、目次を頼りにまとめると次のようになる。
インドにアーリヤ人が土着して如何なる宗教が発達したか、という問題から説き起こし、バラモン教が土着宗教となっていった様子、自由な思想家たちの発生、そして国家の成立によってどのように思想が変容したかという広い視野からの説明がある。さらに多くの哲学諸派の紹介をからめながら、仏教やジャイナ教の発生と変遷を述べた後、イスラム教徒の侵入によって、インド人の思想がどのように変わったか、更に近代インドにどのような思想家たちがいたかにまで及んでおり、まさしく「インド思想史」の名にふさわしい内容となっている。(林 慶仁)
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『宗教における思索と実践』 毎日新聞社(毎日選書) 1949年
敗戦の4年後に出版された本書は、思想の混迷と絶望を深める日本社会に対して、仏教を信頼するに足る価値基盤、普遍的な実践倫理として、提示したものである。
戦争への反省から、日本人は主体性と批判的精神を欠いており、それが東洋思想の特徴でもあるという指摘が、当時盛んになされ、若者の多くが唯物論へと傾斜していきつつあった。それに対して中村は、原始仏教文献を中心として、東洋における「自己の自覚」の伝統を明らかにし、それに基づく慈悲・平等・自由の観念を論じた。さらに、国家・経済・家族といった社会的問題への解答をも示している。
敗戦によって日本社会が改めて背負った、近代化と近代の超克という2重の課題に対して、本書は「普遍的な真理・法を目指して精進努力すべきである」と説いた。現在もなおその課題を担う我々に、本書は力強い励ましと大きな示唆を与えるだろう。(西村 玲)
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『ブッダ 神々との対話-サンユッタ・ニカーヤⅠ』 岩波文庫 1986年
『サンユッタ・ニカーヤ』第1集中、第1篇から第3篇までの、ブッダが神々と交す言葉を詩の形で記した章をまとめた邦訳註解である。
『サンユッタ・ニカーヤ』はパーリ語原始仏典のひとつであり、主題ごとに整理 された教えの集成である。パーリ語原始仏教経典は5つの大きな部類に 分かれており『サンユッタ・ニカーヤ』はその第3の部類のものとして 漢訳仏典の中『雑阿含経』に対応する。
この第1集は「詩句をともなった集」と名付けられており『ブッダのことば(スッタニパータ)』と並ぶ貴重な原始仏典である。当書の内容は主にブッダと神々との対話として構成されており原始仏典を通じた古典インドにおける神の位置づけやその概念をさまざまな形で垣間見ることができると同時に後の仏典に見られる教理の原形を辿れる貴重な解読研究書である。
理解しやすい訳語にとどまらず、詳細な後注と解説は必見であり、後に発表された『ブッダ 悪魔との対話——サンユッタ・ニカーヤⅡ』と併せて『サンユッタ・ニカーヤ』解読研究の集大成である。(佐藤宏宗)
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『ブッダ 悪魔との対話-サンユッタ・ニカーヤⅡ』岩波文庫、1986年
『サンユッタ・ニカーヤ』第1集中の、第4篇から第11篇までの邦訳註解であり、その第4篇にはブッダと悪魔との対話が中心に構成されることから当書籍名となる。
本書は『ブッダ 神々との対話——サンユッタ・ニカーヤⅠ』(岩波文庫)に続くものである。悪魔、尼僧、バラモン、信者たち、神々などとの対話には、人間存在とは切り離しがたい根本的な苦悩に打ちひしがれる人々と真に向き合いつつ歩んだブッダの姿を詩情あふれる形で見いだすことができる。
広く知られるところでは、第6篇の梵天に関する集成であろう。尊い真理を覚ったブッダがその覚りえたことを世界に説くべきか否かを自問した折りに、世界の主である梵天がブッダにその教えを世界に説くべきだと懇願する梵天勧請の描写は古今を問わずその魅力を失うことはない。悪魔とは死に対する恐怖であるという人間の心のありさまを照らし出す描写は現代の我々に真理として理解できうる意義深いものである。神、人間、悪魔、教理上の観念などさまざまな観点から、散文での説明を付加しつつ多数の韻文として現代に伝わる『サンユッタ・ニカーヤ』の貴重な解読研究書である。(佐藤宏宗)
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『仏弟子の告白』 岩波文庫、1982年
本書はパーリ語原始仏教聖典『テーラガーター』の解読研究書である。この聖典は『テーリーガーター』と共に南アジア仏教圏の諸国では広く知られており、全体はパーリ語でのみ伝わり、経蔵の中、第5の聖典集成のうちの第8の聖典である。
近年中央アジアで発見されたサンスクリット語文断片中にも当聖典中の内容とほぼ一致する詩句が多数見られることは有名である。
『テーラガーター』とは「長老の詩」という意味であり、男性修行僧たちが自分で詠じたもの、また詠じたとして伝えられるもの、そしてその他の人たちがこういった修行僧について詠じたものが集められた聖典として位置づけられる。この聖典には数多くの仏弟子の名称が出てくることに特徴が有り、それぞれの詩句の内容から聖典編纂時における歴史的背景や文化的背景を垣間見ることができると同時に、数々の詩句の中には『ダンマパダ』、『ウダーナヴァルガ』と共通するものがあり、『スッタニパータ』や『マハーパリニッバーナスッタンタ』中のものと一致する部分も見いだすことのできる貴重な研究資料である。
原文と照会しつつ読み進める読者に親切な翻訳と詳細な後注とは、原始仏教研究には欠かせないものである。登場する修行僧の心の中に起こる苦闘、煩悩、そしてそれらが解決されたときの至極の喜び、清らかな心の安穏が現代の我々に迫り来るかのごとくの描写の魅力は絶えることはない。(佐藤宏宗)
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『尼僧の告白』 岩波文庫、1982年
本書は、パーリ語原始仏教聖典『テーリーガーター』の解読研究書である。『テーラガーター』と共に南アジア仏教圏の諸国では広く知られており、全体としてはパーリ語でのみ伝わり、経蔵の中、第5の聖典集成のうちの第9の聖典である。
『テーリーガーター』とは「長老である尼僧の詩」という意味であり、登場人物である多数の尼僧たちの心の葛藤や苦悩を美しく描写した詩句の集成された聖典のことである。『テーラ ガーター』同様にそれぞれの詩句からは聖典編纂時代の歴史的背景、文化的背景を探れると同時に『ダンマパダ』、『ウダーナヴァルガ』、『スッタンタ』、『マハーパリニッバーナスッタンタ』など他の原始仏典中にある詩句と一致するものは少なくない。
尼僧という女性の修行者が描写されることは世界の思想史からみても驚くべきことであり、仏教の深い人類史的意義を見いだすことのできる事実である。それぞれの詩句には生活の悩み、女性であるがゆえの苦悩、そしてブッダとその弟子との出会いから信仰に入る喜びがありありと表現されており、個々の尼僧の心境告白は現代の我々に強く迫るものがある。原意に忠実に、そして理解しやすい原文翻訳ならびに詳細な後注は南アジアの仏教僧の理解を生かした価値あるものである。(佐藤宏宗)
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『ブッダの真理のことば 感興のことば』 岩波文庫、1978年
本書はパーリ語原始仏典『ダンマパダ』と『ウダーナヴァルガ』との解読研究書である。『ダンマパダ』はパーリ語原始仏典の中では最も有名なものであり、423詩より構成された、仏教の実践を説く詩集である。その内容は人間そのものに対する鋭い反省と日常生活の指針となる教えが中心となるため、世界中で広く親しまれるものである。
『ウダーナヴァルガ』は説一切有部で編纂されたもので、『ダンマパダ』、『ウダーナ』、『スッタニパータ』、『テーラガーター』などの詩句に対応する諸々の詩句の集成である。それには『ダンマパダ』に見られるものと同一内容のものが多々あることに特徴がある。両書には他の原始仏典に共通の内容が多々見られることは言うまでもなく、原始ジャイナ教や古典インドの思想にも共通する教理が見いだされる貴重な研究資料としての価値がある。
成道の時に述べられたブッダのことばをはじめ、それぞれの詩句から解き明かされることがらはまさにブッダそのものの教えであり、仏典編纂時代の歴史的背景をも描写するものである。不死の境地、即ちブッダのことばに耳を傾けるかのごとくなされた当解読研究は、インド仏教学の宝である。(佐藤宏宗)
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『ブッダ最後の旅-大パリニッバーナ経』 岩波文庫、1975年
本書は、『ディーガニカーヤ』中に含められる第16の経であるパーリ語原始仏教経典『マハーパリニッバーナスッタンタ』の解読研究である。
歴史人物ゴータマ・ブッダの死は、後代の仏教徒にとっては大きな意義を持つ事件であったが、ほとんどの原始仏典の中には彼の生涯は記されてはいない。そのことを述べる代表的な経典がこの『マハーパリニッバーナスッタンタ』であり、そこにはブッダの死とその前後の事柄が詠嘆をこめて語られている。
永い年月の間に加筆された事実は拒めないものの、全体内容から詳細に吟味し古い要素を辿れば、ゴータマ・ブッダの最後の旅の実際のありさまを少なからず知ることができると同時に、古代インド人がブッダを叙述した時代背景をも垣間見ることのできる貴重な研究資料である。
第2章にはブッダの遺言として古来有名な「自灯明、法灯明」、即ち「自洲、法洲」の教えが記されることは広く知られるところであり、第5章にはブッダの最後のことばとして伝えられる「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成しなさい」が記され、これは仏教徒にとっての訓戒であると同時にブッダ自身の生きざまを述べるものとして現代に息づいている。
詩情豊かな描写でブッダ入滅を記す原始仏典の原意にできる限り忠実になされた解読は貴重な研究であり、その精緻な後注と解説とは仏教研究の要である。(佐藤宏宗)
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『ブッダのことば——スッタニパータ』 岩波文庫、1958年
『スッタニパータ』は、数多いパーリ語原始仏典の中でも最古層に位置する聖典のひとつである。その内容は人間として正しく生きる道が対話形式として美しく描かれており、ひとつひとつの詩句は歴史人物としてのゴータマ・ブッダのことばに最も近いものとされて今日にもその魅力を伝えるものである。
『スッタニパータ』の中で多々用いられる「真理」という概念は、ウパニシャッド的な「真実」の意味でその術語が用いられることにも注目に値する。また縁起説の原形や大乗仏教興起時代に見られる空思想の芽生えを彷彿させる箇所が指摘されるにとどまらず、他の原始仏典に見られる内容、さらには初期ジャイナ教文献にも共通する内容が多数見いだせるのもその特徴である。
特に第4章と第5章とは最も古く成立したとされ、他の関連文献とともに重要な研究資料として位置するものである。詩句ならびに韻文翻訳にあたり、それぞれの術語がインド思想史一般ないしインド文化史一般において、どのような意味に使われているかを緻密に吟味しつつ懇切に翻訳された功績は、それまで一般に氾濫していた原文に無理を加えたものとは一線を画し、原文にできる限り近い意味を反映させつつ読者に簡潔で理解しやすい解読研究書の規範となるべきものである。原典翻訳は言うまでもなく、詳細な後注ならびに解説は必読の価値がある。(佐藤宏宗)
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『中村元選集』 春秋社、1988~99年
本選集は、最初に『中村元選集』全23巻として刊行され、その後『中村元選集決定版』全32巻別巻8巻として刊行されたものである。
決定版は旧版出版からの後新たに解明された各研究分野における学説等をそれまでの研究内容に加筆修正されたものであり、特に新たに組み込まれたインド思想分野における研究内容が加わることにより仏教思想、インド思想、比較思想の3本の柱を中心とした壮大なインド思想史の構成をとる百科事典に等しいものである。原始仏教、ジャイナ教、インド大乗仏教、インド六派哲学、近現代インド思想、チベット仏教、中国仏教、中国思想、日本仏教、仏教美術、インド史、世界思想史、東西文化の交流などを網羅した東洋思想のみならず西洋思想との比較思想研究にまでおよぶ功績は東西を問わずこれに追随するものは皆無である。
特筆すべきインド学分野の功績では、インド哲学の王道とも言えるウパニシャッド思想、ヴェーダーンタ思想の展開をインド仏教ならびに他学派のそれとを比較しつつ解明した研究があり、インド学研究にとって必読の価値を有するものである。また八宗の祖とされる龍樹の空思想にその生涯を懸けて挑んだ筆者の空の論理研究には、言葉の世界にメスを入れ、その後のインド大乗仏教に多大な影響を与えた龍樹自身そのものを筆者自身が体得しようとする姿勢が窺われる。さらに、今日においても未開の研究分野であるジャイナ教に関しては、原始ジャイナ教思想と原始仏教思想などとの緻密な比較研究に加えてアーガマ期から論理期にかけての空衣派ジャイナ教思想を中心とした存在論研究は今後のジャイナ教研究にとって欠かせないものである。筆者の生涯を通じてなされたさまざまな分野におよぶ広く深い東西思想の研究は世界的観点から縦横に論じられた異文化研究であり、その偉業は現代の文化遺産と呼ぶに相応しい。
インド学仏教学研究者、人文科学研究者は言うに及ばず、広く東洋の思想、宗教に関心をもつ人たちの必読の書である。(佐藤宏宗)
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エピソードが語る中村元の素顔
辞書原稿紛失事件
中村博士は「仏教語を日本における万人共通の言葉に出来ないか」との強い願いから昭和21年、仏教語辞典の編纂を開始。以来、20年の歳月をかけ、さまざまな研究の傍らこつこつと書き溜め、その原稿は、実に約3万枚に及びました。
ところが、出版を目前に控えて、出版社の保管ミスにより昭和42年12月初め、その原稿がすべて紛失してしまいました。警察、探偵社、製紙会社や風呂屋まで、新聞社の広告やチラシなど、あらゆる手立てを尽くし探しましたが結局見つかりませんでした。
普通であれば、出版社を責め、言い知れぬ思いに着し、自他共に傷つくものでしょう。
ところが中村博士は違いました。その一つが、紛失の連絡を受けたときの博士のことば。紛失の連絡は、食事をされている時にありましたが、電話を受けた博士は、少し無言で電話を切ったあと、ひとこと「原稿がなくなったというんだよ」と家族に告げただけで、ついに紛失者を責められる言葉は一切口にしませんでした。
そして、一月後には新たな原稿の執筆に取りかかりました。
再出発後10年をかけて、多くの弟子初め、沢山の方々の協力と援助の下に辞典は完成しました。その数13万枚、辞典に盛られた語彙数は4万語に及びました。
そして完成直後、博士はただちにその改訂に着手、約1万に及ぶ新項目はじめ改訂用に用意されたカードは、その数十万枚を超えるものでした。
「人々の役に立つ、生きた学問でなければならない」ことを常々説いていた博士は、佛教辞典についても、伝統的な仏教語にたよらずに、現代人が理解しやすい日本語で解説することを早くから企図し、その実現にむけて、あらゆる機会を捉えてはさまざまな資料を集め、膨大な原稿を用意していました。
その折々の成果は、少なくも3度、中村辞典として公にされましたが、いつの時でも、博士にとってそれは完成版とはならず、完成に向けての原稿作りは、文字通りライフワークとして、博士に残された命が数ヶ月を切り、もはやペンを握れなくなる時まで続きました。
「私は、研究を勉め強いてきました」と笑いながらおっしゃられる背後に潜む不屈の意志が、苦難を乗り越え、「不朽の盛事」にふさわしい辞典を完成させたのです。
二度の改訂を経て、いわば中村仏教語辞典の決定版ともいうべきものとして公刊された『広説佛教語大辞典』全4巻は、53000にも及ぶ語彙数の豊富さ、文献学的確固たる基礎に支えられた確かさに加え、「わかりやすい」という博士の強い願いが具現化された一大特徴のゆえに、多くの人々に受け入れられ、また中国語にも翻訳されています。
(辞典にまつわる一連のいきさつは、佛教語大辞典1975年、広説仏教語大辞典2001年、縮刷佛教語大辞典2010年のあとがきに詳しく記されています。)
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エピソードが語る中村元の素顔
ブッダへの帰依
ブッダの教えを広く人々に伝えようとされた中村博士は、東方学院を訪ねてこられる方に対して、一切分け隔てをしませんでした。そして、お会いになった後には、かならず来訪者とともに理事長室を出られ、エレベータの扉が閉まるまで笑顔で見送りました。
それは、晩年になって、杖をゆっくりつきながら歩くことがままならない時になっても続きました。
博士が死期を察せられた頃のある象徴的な出来事を、ご親交の深かった写真家の丸山勇さんが本会の機関誌『東方』第15号(追悼号)にご寄稿下さいました。
出版物の打ち合わせで神田明神の東方学院に中村元先生をお訪ねしたのは、平成8年2月29日の昼下がりであった。
お目にかかるなり、
「丸山さんにお願いがあるのですが」
「何でございましょうか」
「実は、写真を一枚引き伸ばして頂きたいのですが。私も、この年になりますと先のことを考えなければと思うのです。いずれ行く処にいかねばならない時が来るので、その前に、私なりに準備をして置きたいと思っているのですよ」
「もちろん喜んでお作りさせて頂きますが、写真は何がよろしいでしょうか」
「できたらサールナート出土の初転法輪像をお願いしたいのですが。いずれその時が来たら、長い間お世話になっている明神さんで何等かのことをしなければいけないと思っておりますので。その際には、私の写真は小さく奥に飾って、前面に初転法輪像を掲げ、おいでになった方々には私にではなく、ブッダに礼拝して頂きたいと思っているのですよ。私は、生涯ブッダに仕えた身ですから。」
しかし、お別れしてから、ご依頼の趣旨が趣旨だけに、余り早くお届けしても、また、遅すぎても失礼になるし、いつお届けしたら良いか悩み続けていた。
お手元にお届けした5ヶ月後の平成8年7月25日が昨日のように思い出されます。(丸山勇「写真の想い出」より抜粋)
それから3年の月日が流れ、平成11年10月10日、博士は静かに息を引きとりました。博士の遺志をうけ、葬儀では、ブッダが最初に説法をされたサールナートの地で出土した初転法輪像が博士の遺影とともに飾られました。
参列された人々が初転法輪像に合掌する姿が印象に残る、中村博士との最期のお別れとなりました。
釈尊の初転法輪像
博士は生前「このブッダ像はもっとも穏やかなお姿をしておられる」と讃えていました。
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慈しみのこころ、墓碑に刻まれた願い
中村元博士が、その86年の人生を学問一筋に打ち込み、東西の思想の蘊奥を極め尽くして、最後に到達されたもの、それは「慈しみのこころ」でした。
亡くなる数ヶ月前に認められた一文のなかで、博士は次のように語っています。
「私は長い間、東洋の思想・精神的伝統の探求をしてまいりました。それを貫く〈東洋のこころ〉というものがあるとすれば、それはいったい何か。その底に流れるものを求めての半生であったといっても、過言ではないように思います。
・・・その何かこそ〈温かなこころ〉ということではないかと思うのです。」(『温かなこころ 東洋の理想』)
笑いながら「私は字が下手だから」と、サインの求めに対してやさしくお断りになった博士が、是非とも、との所望に書かれたことばは、インドの文字で書かれた「慈しみのこころ」でした。博士は菩提寺である松江市の真光寺と東京の多摩墓地に眠っています。
博士は、墓地(東京都:多摩墓地)に「ブッダのことば」と題した石碑を立て、後世に残しました。このことばは、原始仏教聖典の一つである『スッタニパータ』(ブッダのことば)から博士が訳したもので、洛子夫人ご自身が清書され、それを墓碑に刻んだものです。
この「ブッタのことば」は博士が(財)東方研究会・東方学院に示された指針であると同時に21世紀の人類に示されたメッセージでもあります。
また墓碑には、ご自身でつけられた法名「自誓院向学創元居士」も刻まれています。
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